全米中の美術館をだました!?天才贋作作家のマークランディスが『世界まる見え!』(2018年6月11日(月)19時〜放送)で特集です。
ドキュメンタリー映画『美術館を手玉にとった男』で世界的に有名になったマークランディス。彼の詳しい経歴や贋作製作のきっかけ、現在の作品、彼を追っていた元美術館職員のマシューレイニンガーの現在などをまとめました。
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マークランディスとマシューレイニンガーの現在は2ページへ!
贋作作家マークランディスの経歴(wiki風プロフィール)
1955年;バージニア州ノーフォーク生まれ
1955〜1968年;アメリカ海軍の提督だった父親の仕事で、世界中を一緒に飛び回る。宿泊先のホテルで仕事の両親を待っている間に、絵の模写をする楽しみを覚える。
1970年;父親の退職により、ミシシッピ州ジャクソンに家族と共に移り住む。
1972年;父親の癌による死をきっかけに、17歳の頃、精神疾患で苦しむ。カンザス州トピーカのメンニンガークリニックに入院し、統合失調症と診断される。治療の一貫であるアートセラピーを通して、彼の芸術的な才能が開花。
1974年;シカゴ美術研究所に入学。アートを学んだ後、写真についても学ぼうとしたが、魅力を感じずやめる。
1976〜1977年;サンフランシスコの美術研究所に移籍する。古い絵の修復を行うものの、抽象画に興味を持てず不満を持つ。結局やめ、サンフランシスコでアートギャラリーを開く。
1988年;アートギャラリーが失敗し、ミシシッピ州ローレルにいる母親と一緒に住む。母親を喜ばせようと思い、父親の思い出として描いた贋作を美術館に寄付。感謝の手紙が届き感動する。
1988〜1998年;美術館を渡り歩き、美術史書やカタログを見ながら描いた贋作を次々と寄贈。美術館から感謝され、何度も続ける。
1992年;二度目の統合失調症にかかり、障害者認定を受けて生活する。回復後、南ミシシッピ大学に通い経済学を学ぶ。
1992〜2008年;アメリカ中の博物館、非営利団体、大学のギャラリーに次々と贋作の寄付を行う。彼の絵画技術はますます上達していく。
2007年〜2008年;美術館職員のマシュー・レイニンガーが贋作を見破り、贋作を辞めるよう説得され続ける。
2010年;母親の死後、贋作の製作が増える。メディアが、彼の素晴らしい才能と異端な行いを取り上げ始める。 FBIが彼の活動追い始めるが、金銭の受け取りが一切ないため逮捕しない。
2012年;シンシナティ大学で彼の作品の展覧会が開催される。他にも美術館で展覧会がなされ、贋作が寄付される。
2013年;雑誌「The New Yorker magazine」に彼の作品特集が組まれる。
2014〜2015年;オリジナル作品を製作中
贋作作家マークランディス|贋作のきっかけと理由
ドキュメンタリー映画『美術館を手玉にとった男』を見ていても、なんで、贋作を描き始めたのだろう?どうしてこんなに贋作を描き続けたがるのだろう?と思ってしまう人、少なからずいるはずです。私も気になりました。
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贋作のきっかけは、子どもの頃、美術品を模写して両親を待っていたこと。世界中の知らない土地で、しかも両親がいないホテルの一室で待っているなんて、小さい子どもにとってはツライですよね。きっと、絵を描いて寂しさを紛らわしていたのでしょう。
次は精神疾患の治療としてアートセラピーで描いたこと。お父さんのことが大好きだったんでしょうね。
そして、母親を喜ばせようと贋作を美術館に寄付し、逆に感謝されたことが決定打でした。自分のしたことで、人に喜ばれるのは誰しもうれしいですよね。しかも、美術館なんて権威のある場所から感謝の手紙をもらえたら、また挑戦したくなるのも自然ですよね。
母親の死後、贋作が増えたとありますが、彼のは精神疾患を患っているため、自身のアートセラピーの一貫として描いていたことが伺えますね。
彼の贋作を追ったドキュメンタリー映画『美術館を手玉にとった男』でもある通り「目的はお金じゃない」ことが経歴を見ていると伝わってきます。
「周りに喜んでもらいたい」
「喜んでもらうことが生きがい」
「美しい絵を模写して寄贈すると喜んでもらえる」
これだけしか考えていなかったのだろうと思いました。贋作は良くない、オリジナルを描いたほうがいいと世の中から言われても、長く渋っていたのは、そもそも価値観が世間とは相入れなかったからでしょう。
なんだが、少年の心のまま大人になったガラスのように繊細な心の持ち主だと思いました。
マークランディスの現在の作品と
元美術館職員マシューの現在は
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